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DELICATESSEN:デリカテッセン (1991)(フランス)

冒頭からやや暴走気味に始まり、かなり凝ったオープニングへと突入する。インパクト十分であり、もしここで興味がないのであれば、単に映画のテイストが合わないからだと思う。この作品、二人の共同監督とは思わせないくらいに統一感がある。

ストーリーは近未来。一軒のアパートが建っており、そこに新しい住人が引越してくる。そのアパートの一階がデリカテッセンで、怪しい肉屋の主人がいる。そのアパートで様々な変わった事件が起こる。

話しらしい話はない。また設定も近未来だと思うだけであり特に定義はなされていない。なぜ、一軒家しかないのかも映画の中では一切説明されない。これはフランス映画によくみかけられる手法で、キーとなるのは登場人物でプロットではない。それゆえ、登場人物は変人のオンパレードでまともな人間はひとりもいない。これをフランス映画風キャラクター設定と言えるかどうかは確かではないが、少なくとも漫画的な極端な行動をする人物を漫画的に描く事には成功している。

またこの映画の撮影はダリウス・コンジーという「セブン」を撮ったカメラマンによるものだが、この映画での彼の技術は秀逸だ。特に影の表現はすごい。一版的には、影は暗くて何もないと思いがちだが、かれの表現する影にはディテールがしっかり記録されており、映画の持つブラックユーモアをよりブラックに引き上げることに成功している。残念ながら、DVDではこのディテールはとんでしまい確認できない。是非映画館で観ていただきたい。

FACE OF ANOTHER:他人の顔 (1966)(日本)

勅使河原と安部公房のタッグによる作品三本目。一度「Your 20 Films」に入れてはみたものの、最終的には番外にした。

安部公房の原案、本人による脚本を勅使河原はよく理解しており、映像化にみごと成功している。コントラクトの強い白黒の映像が物語が含んでいる「寓話性」をより強調しており、観客を独自の世界に導いてくれる。

あらすじは事故で顔を大火傷した主人公が整形外科の先生の助けを得て、他人の顔をした仮面をつくってもらう。主人公はその仮面をかぶり、他人になりすます社会にでるが、徐々に仮面に翻弄されていく。

前作の「砂の女」同様、SF的要素を上手く現実レベルにおさえているところが勅使河原の演出の冴える箇所である。90年代にアメリカ人監督が「他人の顔」に触発されて、映画「SUTURE」を作ったが結果は無残で、平凡なアクションドラマに仕上がっている。映画からは寓話性が全く感じられない。監督の感性の違いなのだろうが。

I HIRED A CONTRACT KILLER:コントラクトキラー (1990)(フィンランド)

タイトルからすると、サスペンス物もしくはアクションドラマと勘違いしがちだが、あくまでもコメディ映画である。ただし、ひとくせあるコメディ映画なのは、映画製作国がフィンランドで、しかも監督がアキ・カウリスマキと聞けば理解していただけると思う。

イギリスが舞台。イギリス社会に馴染めないフランス人労働者が、孤独と先の見えない自分自身の人生に嫌気がさし自殺を試みる。が、首吊用のロープが切れたり、ガス自殺途中で未滞納のためガスを止められてします等、ことごとく失敗に終わる。彼の最終決断は全財産をかき集めて、自分を殺してもらうよう殺し屋を雇う。その帰りに花売りの女性と恋に落ち、人生が180度変わる。翌日慌てて、昨日の契約を破棄するために殺し屋の事務所に行くが、既に取り壊しが始まり、殺し屋の行方がわからない。どうする主人公。

という内容だが、別にサスペンスがあるわけでもなく、フィンランドならではの悲愴感が主人公にも、雇われた殺し屋にも漂っている。そのオフビート感がリズムの外れたコメディと妙にマッチしていて楽しい。映画の時間は80分と短いのだが、映画が上映されている間はかなり長く感じた。でも、見終わった後の果たして観て得したのかそれとも時間の無駄だったのかという非常に表現しにくい感覚はアキ・カウリスマキ映画独特のものだ。結果的には秀作として紹介していう以上はやはり自分の中で「観て得した」と納得できたのだろう。

映画館での鑑賞をオススメする。

WHO KILLED JESSIE:「邦題不明」 (1966)(旧チェコスロバキア)

とにかく面白い。60年代のチェコ映画は宝の玉手箱的映画で溢れている。

映画のストーリーは、ある科学者が夢の実験をし、夢で見たものを現実化できる装置を発明する。自分の憧れての漫画のヒロインを現実化させることに成功するのだが、その他の漫画のキャラクター達も現実化してしまい大変なことになってしまうという他愛もないSFストーリー。ただこの映画が制作されたのが1966年。80年代にアメリカでつくられた「ロジャーラビット」よりも20年以上も前にもかかわらず、後発ものよりもイマジネーション豊かな作品に仕上がっている。

例えば漫画から出てきたキャラクターのため話すことができない。そのため何か話しかけようとすると、画面の上にセリフのふきだしが現れる。しかも、二次元なのである。一定の角度からしかふきだしの中身が見えない。非常にどうでもよいディテールに凝っている。この細部のこだわりがコメディーにうまく反映していて、観ていて心地よい。

白黒映画にもかかわらず、映画の醸し出す雰囲気は天然色のカラーそのもの。しいて言えば、60年代の一連の日本のSF映画の路線に近い。根本的な違いはチェコ人は常に笑いを忘れないことかも知れない。60年代日本SF映画は真面目だが面白味にかける。

Your 20 Films:辻田晃行 映画作家

  1. DIAMONDS OF THE NIGHT:「邦題不明 」(1963)(旧チェコスロバキア)
    全編セリフなし。映像と編集テクニックは秀逸。しかも、これらの技術面が見事に映画の内容にマッチしている。時として天才は一般には認められないとは正にこの事。
  2. MAD MAX 2:マッドマックス2(1981)(オーストラリア)
    今観てもアクションにダレがない。テーマとスタイルが見事に開花した逸品。
  3. DAWN OF THE DEAD:ゾンビ (1978)(アメリカ)
    一連のゾンビ映画のなかではピカイチ。軽視されがちなジャンルではあるものの、ショッピングセンターをアメリカの消費社会のシンボルとする感性はやはりゾンビの父ロメロ。脱帽。
  4. WOMAN IN THE DUNES:砂の女 (1964)(日本)
    勅使河原の前衛的アプローチと安部公房の見事な脚本とで完成された作品。まるで生きているかのようなフィルムのザラツキ感を利用した砂の表現は一見の価値あり。
  5. RAZORBACK:レイザーバック (1984)(オーストラリア)
    この映画がきっかけで映画の世界に首をつっこんでしまった。内容はたわいもない動物パニックモノ。いわゆる、ジョーズの亜流の一本。出来もそこそこ。何がすごかったかというと、ミュージックビデオのスタイルを映画に取り入れたことだ。当時、観たこともない画はかなり新鮮さがあった。
  6. SOLE SURVIVOR:「邦題不明」(1983)(アメリカ)
    まさしくB級映画。ストーリーよりもなんともいえない雰囲気が好きである。ちなみに撮影場所はロサンゼルス。
  7. OLDBOY:オールドボーイ (2003)(韓国)
    おそらく今後、パク・チャヌクからも韓国映画界からもこれだけエネルギッシュで斬新な映画は出現しないと思う。異質な映像センスと他の韓国映画では見られなかった音楽の使い方。少なくとも自分の中の韓国映画への固定観念を完全に覆した一本。21世紀のアジア映画を代表する映画であることは間違いない。
  8. MEMENTO:メメント (2000)(アメリカ)
    やられた!と思わされた作品。ストーリーの終わりから始まり、ストーリーの最初で終わる時間軸が逆転の構成にもかかわらず、グイグイと映画に引き込まれてしまうのである。クリストファー・ノーランの時間軸の表現は共感できるところがある。強引である箇所はなくもないが。
  9. CONVERSATION:カンバセーション盗聴 (1974)(アメリカ)
    コッポラの傑作。小粒でありながら、演出、構成、音楽そして最後のどんでん返し的プロットといい完璧。ただ夢のシーンはちょっと安っぽいかも。コッポラなりのアントニオーニの「欲望」のオマージュだが、個人的には本家よりも好きである。
  10. CITY OF ZERO:ゼロシティ (1990)(旧ソ連)
    ペロストロイカ直後の映画だけあり、なんとも形容し難い不思議な映画。カフカ的といってしまえば安直かも知れないが、雰囲気はまさしくカフカの「城」である。
  11. ROSEMARY’S BABY:ローズマリーの赤ちゃん (1968)(アメリカ)
    「チャイナタウン」以前のポランスキーの傑作。限られた環境での恐怖の盛り上げ方をここまで巧みに操る監督はそうはいない。
  12. HIROSHIMA MON AMOUR:二十四時間の情事 (1959)(フランス)
    ドキュメンタリーとフィクションが交差する。記憶と現実が交差する。同時に時間も交差する。観た後の不思議な感覚は、複雑に入り組んだ交差の影響に違いない。
  13. LE DERNIER COMBAT:最後の戦い (1983)(フランス)
    リュック・ベッソンの第一作作品。イマジネーションあふれる作品。今のベッソン映画に見られるシャープなアクションはないが、興味深い作品であるのは間違いない。最初この映画を観た時は「この監督は来る」と思ったがまさしくその通りになるとは。
  14. LEMONADE JOE:レモネードジョー (1964)(旧チェコスロバキア)
    センス・オブ・ワンダーとはこの映画のためにある言葉だと思う。チェコ人の西部劇へのあこがれと勘違いが大いに溢れるコメディ。それでいて、シネマ的ギャグも満載。必見。
  15. LATE AUTUMN:秋日和 (1960)(日本)
    「彼岸花」だろうが「秋刀魚の味」であろうが小津の映画は金太郎飴みたいなもので、どれでもよいのだが、強いてあげればやはり「秋日和」になると思う。この日本的空気感をセルロイド上に表現できたのは小津のみである。削ぎ落とされた日本美学の金字塔だろう。
  16. ELEMENT OF CRIME:エレメント・オブ・クライム  (1984)(デンマーク)
    世界観や雰囲気づくりの視点から見ると見事。しかもこの映画がトリアーの初監督作品。彼の最近の作品は、ナルシスト的要素が全面に出ているがこの頃は若干控えめ。ヨーロッパの時間はよどんでいる。
  17. A SHORT FILM ABOUT KILLING:殺人に関する短いフィルム (1988)(ポーランド)
    人生において上昇していく人間と下降する人間があるひとつの殺人事件で出会い、それぞれの人生に影響を与えていく過程を描く。ドキュメンタリー的手法を用いてフィクションというよりは現実を描こうとしている。その世界には奇跡は存在しない。冷ややかな現実があるのみ。
  18. DRIFTING CLOUDS:浮雲 (1996)(フィンランド)
    カウリスマキの傑作にしておそらくは唯一のハッピーエンディング。フィンランドに暖かな日差しが差し込んだ感じのエンディングは少しほろっとくるかも。あくまでもコメディであることを忘れずに。
  19. THE TENANT:テナント (1976)(フランス)
    ポランスキーの怪作。自分が狂っているのか他人に狂わされているかが明確にされないままストーリーは展開する。なるほどこれはこけた理由はわかるが、出来は素晴らしい。パラノイア的世界を描かせたら彼にはかなわない。またブラックな笑いのツボもよく心得ているのがにくい。
  20. VAMPYR:吸血鬼 (1930)(デンマーク)
    神秘の空気に包まれた映画で、恐怖映画というよりは幻想映画。黒の代わりに白色で非現実感を作り出せているのは素晴らしい。サイレント映画のため一般受けはしないかもしれないが是非大画面で観たい一本。

「LOST」シーズン5へ突入

アメリカで「LOST」のシーズン5が先週(だったと思う)始まった。このシリーズは日本でもすでにDVDで販売・レンタルされているので内容の説明は不要だと思うので省く。

改めて、新シリーズを観ての感想は行き当たりばったり感がさらにパワーアップしているということ。まったく、視聴者のことなんかお構いなしに話が展開していく。一体全体何人の視聴者がディテールを把握してみているかが興味津々だ。が、こんなやりたい放題の番組にもしっかり視聴者はついてきており、いまだに高視聴率をたたき出している。

番組プロデューサーも現状を把握していない感がかなりある。このまま終わってもしばらく続いても行き着く先は同じで、まだ誰もどうやって終えるのアイディアがないんではなかろうか。

「LOST」の1シーズンはかなり面白くひきつけられてしまった。イギリスのTV番組「プリズナーNO.6」とアメリカのTV番組「巨人の惑星」を足して割ってみたようなテイストで、この島には一体何が起こっているのかというミステリーが視聴者を引き込んだ要因に思える。これを軸にキャラクターそれぞれに焦点を当て何故彼らが飛行機に乗り合わせた事実関係をフラッシュバックで紹介していく方法は何か光るものがあった。

が、2シーズン目からは(どうやらプロデューサー側の意向らしいが)島の謎の存在を神秘的ミステリーではなく人為的なものだとあっさり説明し、パラノイア的世界観から、一気にわかりやすい単純な群像劇に方向転換してしまったため、緊張の糸がぷちりと切れてしまった。

にもかかわらず、視聴率が低迷していないところをみると、変更は吉に出たのだろう。このあたりが、ローラ・パーマを殺害したのは誰という謎で視聴者を釘付けにさせたのはいいものの、そのミステリーが解明されるやいなや、視聴率が低迷したカルト番組「ツインピークス」とは違う点である。

何が「LOST」の視聴者を魅了しているのかが自分には理解できない。このままでは自分自身がロスト状態である。

LOST(終わりのタイトル風に)

その名もボーン

おそばせながらアメリカ映画「ボーン」三部作を観終えた。英語タイトルも決してかっこよくはないが、カタカナ表記にするとかっこ悪いタイトルだ。しかもこの後につく「スプレマシー」や「アルティメイタム」等タイトルからは全く何の映画がわからない。予備知識のない人にとってはまさかこの映画がスパイ映画だとは想像もできないだろう。

で、話題になっていたのが三部作目だったので「ボーン・アルティメイタム」から観ることにした。で次に「スプレマシー」で最後に「アイデンティティー」。

結果、映画の評価順にもなってしまった。最初の「アイデンティティー」は一番安直な映画。いたって普通の出来だった。つまり、記憶喪失というディバイスを使って映画の話を前へ進めるパターン。正直、今日の記憶喪失物に免疫がつてしまったせいか、全く驚きなし。正直、主人公「ボーン」の記憶が戻ろうがどうでもよい。単純にプロットの複線のためのお膳立てにすぎない。

それを見切ってか、2作目から抜擢されたポール・グリーングラスはただひたすら、編集のテンポを早く、若干ドキュメンタリー要素をスパイス的に、アクションをひたすら描く。この監督の採った案は成功したようで第三作の「アルティメイタム」では編集がより早くなり、観てて気持ちがよくなるリズムをかもし出している。この効果は「アルマゲドン」や「ロック」のマイケル・ベイのただ単にスピードが速いだけの編集とはちがう。

さらにこの「ボーン」シリーズでこの監督の秀でた才能は、ヨーロッパを観光旅行的背景とはせずに、といって決してマイナーな場所でない、ヨーロッパ人ならではのヨーロッパの地形の描き方をしている。やっぱり監督はイギリス人。もしこれがアメリカ人の手にかかったら、第二撮影班にエッフェル塔えを撮らせて、で俳優のシーンではスタジオ内の似非パリもしくはトロントやロスとかで撮影をして誤魔化すであろう。久しぶりのヨーロッパの街並みが魅力的に感じた映画である。

いろいろとゴタクを並べたが一番感動したのは三部作全てのエンドクレジット。な、なんとボーンの歌があるではないか!しかも歌っているのはMOBY。曲は結構恥ずかしくなる感じの歌。なんとなく80年代のロック調。これを聴いて「わー、ボーンかっこええ、しびれる~」とは到底思えない。むしろ恥ずかしくなるタイプの曲だ。でも同じ歌を三作品通して使おうと決定したプロデューサーには脱帽。おそらくプロデューサーの意図は21世紀版「007」を意識したのでは。記憶に残るという意味では成功しているが、恥ずかしいのは否めない。この曲欲しさにiTunesとかでダウンロード購入は少なそうだ。そういえば「ボーン」のテーマは記憶だったのを思い出した。

海外のテレビ事情 その1

アメリカに住んでいながら、何故アメリカのテレビ事情とわざと書かなかったというと、まずうちのテレビはアンテナにつながっていない。しかもケーブルや衛星も受信していない。つまり、本来のテレビとしての機能はまったくしていない。正確に表現するとそのような状態にさせていない自分がいる。

何故と聞かれたら単純に毎月の出費がかさむためと答えるのが一番妥当であろう。

それではテレビ番組を観ていないかとの質問はまったくノーでありよく観ている。如何にしてというのが通常の質問だと思うが、インターネットを通じて鑑賞していうのが実態だ。

まず、アメリカのテレビ番組はまるで、代わりに録画してくれているように、各テレビ局のサイトもしくはHULUやJOOST、SLINGのようなサイトにいけば、いたれりつくせりの状態だ。

日本のテレビの状況はというと、違法、合法の議論はこの際おいておいて、各サイトで十分すぎるほど、よいラインアップになっている。

こんな状態にいると人間の欲というのは恐ろしいもので、じゃあ他の国の番組も観たいという欲求が沸きあふれ、気づいたら、いつの間にかイギリスやカナダ、その他の国々の番組が手に入っている。

その中で今、一番注目しているのが英国BBCが制作した「DRAGON’S DEN」という番組。現在6シーズン目という比較的人気のある番組で、しかもこの番組の元ネタが実は、以前日本放送(NTV)系列で放送していた吉田栄作司会の「マネーの虎」である。番組の内容は実際の投資家を4~5名集めて、その投資家の前で志願者が自分のビジネスプランや商品をプレゼン、目の前の投資家を納得させ、彼らに新規事業及びビジネスチャンスに必要な希望額を投資させれば成功。ただし、一円でも希望金額に満たさないのであれば不成立となる。

オリジナル日本版もそれなりに楽しみにして観ていたけど、イギリス版の方がはるかに面白い。その一部始終は次回へ。

そして静かに始まった、いや始めてしまったのか…

早いものでアメリカ在住20年が経ってしまった。気づけば人生の半分以上がアメリカでの生活になってしまっているではないか?!本来の目的である映画製作もここ4年ほど停滞ぎみ。アイディアの数はあるのだが「これ」といった感触のある題材がない。今手持ちのアイディアで短編を作ったとしても、自分では消化不良を起こすのは間違いない。次回作の目標は「ベネチア映画祭の短編部門」と高く設定しているから慎重に題材を吟味しないと。「無理かどうかは作ってから判断すればいいことだ」と自分に言い聞かせている。2009年には撮影に入れるようがんばってみます。

ということで今後不定期に自分のバックグラウンドを生かしたり、興味の持てるものに焦点を当てて様々な話題(特に芸術関連)に触れていきたいと思っています。決して頭が痛くなるような硬ーい内容にはしないつもりです。

今後ともよろしくお願いします。